活動報告

2018 / 03 / 14  20:00

街への愛情が溢れ出る人

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メッセージをいただきました。

 

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最初に出会ったのは7年程の前だったでしょうか。弘前と函館でお互いに離れているので、お会いできるのは年に数回ほど。いつも朗らかで、楽しく接してくれるのが彼です。

決して偉ぶることなく、自身のこだわりなどを冗談めかして語りながら、周りを和ませ、やる気を引き出してくれる人です。

北海道新幹線の開業に際しては、弘前の街を函館でアピールすべく、弘前市役所はじめオール弘前の人たちが、JR函館駅やその周辺の様々な場所で観光のPRを展開しました。他のどこの街もやらないことに熱心に取り組む弘前の人たちのその姿に、函館市民は驚きました。

この時、函館で自ら先頭に立ってPRし、陣頭指揮を執っていたのが彼でした。新青森駅開業の時の経験が大いに生きたのですね。

 

さて、そのPRがすっかり終わり、クタクタになりながら日付が変わるころまで函館の居酒屋で酌み交わしたのですが、ここでもなお弘前の街のことをいちばん熱く語っていたのが彼。その姿は今でもハッキリと思い出されます。

 

とにかく彼は弘前の街を愛している。

 

そして彼の持ち味は、自身の豊富な行政経験、そしてなによりも部下や仲間たちのチカラを信じて、いつも一生懸命に取り組む姿勢だと思います。

 

頑張れ!

 

函館在住/弘前の街を応援し隊 M.T

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ありがとうございました!

 

2018 / 03 / 13  20:00

桜の都の市長はこの人しかいない

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遠くからメッセージをいただきました。

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〈実直〉という言葉がぴったりの行政マンである彼が市長選挙に立候補するというニュースに、遠い九州の長崎から、久しぶりにわくわくしました。

桜の名所・弘前に、まさにどんぴしゃな名前の市長候補なんて、ちょっと出来すぎですが。きっと、弘前のまちづくりについて、ずっと活動してきた男の「機」が熟したということでしょう。

 

「♪真っ赤なリンゴをほおばる、ネイビーブルーのTシャツ…♪」まち歩き交流の飲み会3次会で行った鍛治町のカラオケスナック。いったい誰が??とマイクの主を探すと、そこにはノリノリで歌う彼の姿がありました。

〈実直〉な性格はそのままに、とにかく一生懸命、そのうえけっこうこなれている…。

「この人は、見た目よりずっと器用な“仕事しぃ”だな」。

以来、お会いすると「あなたのキャンディーズが聴きたい!」とねだる私です。

 

 地方自治体の選挙は、ときどき大きなうねりが起こります。

長崎市の「田上富久市長」もそうでした。現職市長が選挙中に撃たれ、その娘婿しか立候補しなかったとき、他に選択肢を提示したいと立ちあがった長崎市の課長さん。絶対無理といわれながらも950票あまりの僅差で勝った劇的な市長選は、当時、全国的にも大変な話題となりました。

 

あの時は、なぜ勝ったのでしょう。

投票する側のもやもやとしたフラストレーション、立候補者の人柄とポテンシャル、

その人を応援するまわりの顔ぶれの多彩さ。

要素はいろいろあるけれど、ちゃんとした人が意を決して「仕切り直しで新しいことを始めよう」と声をあげ、周囲に応援する人々がいるということは、サーフィンでいうところとの“いいコンディションの波が来ている”、この「機」は逃してはいけません。

今、まさに弘前がそうなのです。

 

残念ながら私のような長崎市民には、弘前市市長選の投票権はありません。遠くから彼の勝利を願うのみ、そして次に弘前に遊びに行ったときには、市長室で会えることを心からお祈りしております。

がんばれ~。みんなもがんばれ~。

 

 

(記)長崎コンプラドール 川良真理

 

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川良様、ありがとうございました!

 

2018 / 03 / 12  20:00

「みんなを輝かせる日」へー3.11に寄せて

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「お手紙」をいただきました。

 

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人生にはいくつもの岐路があります。

その時に気付くこともあれば、振り返って「あのときが…」と気付くこともあります。

 

私にとって、人生で最大の岐路は、実は2011年3月11日、そう、東日本大震災の日だったのかもしれない、と、今にして思い返しています。

お互いの記憶に刻みつけられている、このころのことについて、今さら、詳しく記すまでもありません。

ただ、あの日をきっかけに、自分の人生が大きくうねり始めたことは、私は途中から半ば自覚していました。

同時に、この一文をしたためながら、その前後の日常に、あなたの笑顔と行動がいつも縫い込められていたことに、あらためて胸を突かれた思いがしました。

 

弘前や津軽の未来を語り合う都度、この地に根を張り、常に市民と同じ目線を保ちながらも、巨きなヴィジョンを描く横顔に、敬服しておりました。

故・T先生にねじを巻かれ、「まだまだ足りない!」と発破を掛けられて奮起していた姿を思い起こします。

筋を通すことと、人の輪・和をつくることを両立させる営みの難しさを、誰よりも知りつつ、誰よりもひたむきに実践している背中は、背丈に比べて、いつも大きく見えました。

 

時折、雑談や酒席で「いつ、出るの?」と誰かに水を向けられると、いつも微笑とともに聞き流していましたよね。しかし、どこか眼は笑っていなかった。自分の心の淵をのぞき込んでいたような気がするのは、「今となっては」のことでしょうか。

今回の大きな決断を、いつ、どう下したのか。しばらくは、うかがう機会はなさそうです。

しかし、リンゴ台風後の暗闇を照らすクリスマスファンタジーを企画したり、救急医療のNPO法人に関わるなど、「光の大切さ」「命の重さ」と向き合い続けてきたあなたの足跡をたどると、「自らが輝くために考え、行動する」のではなく、「みんなを輝かせるために考え、行動する」志が、ほのかな光を放っているように感じられます。

 

残雪が陽光に映える季節となりましたが、既に、春の嵐に向き合うような毎日が続いていることでしょう。

それでも、弘前市が震災の最初の衝撃を乗り越えた日々のように、常に「前へ」と進まれることを心からご祈念申し上げます。

 

そして、4月には弘前公園で、満開の桜の下で握手できる日が訪れることを信じております。くれぐれもご自愛下さい。

 

東日本大震災の発災から7年目の夜、2018年3月11日に  M.K

 

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ありがとうございました!

 

2018 / 03 / 11  20:00

市民のために

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メッセージをいただきました。

 

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2010年12月の

新幹線新青森駅開業の際

弘前駅等で、一生懸命、

市民のみなさんがイベントを見られるよう

誘導していた姿が印象的でした。

 

まさに、市民のために働く方です!

 

 

(記)パフォーマンス市長から、優しい市長へ 

 

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ありがとうございました!

2018 / 03 / 10  20:00

つながる そして つなげる

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メッセージをいただきました。

 

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5年前、ヒロロができるって 決まった時、

何かしたい と思った。

 

弘前市のために、

こどもたちのことを真ん中に 

学校、家庭、地域、企業、行政 みんなで 

一緒に笑顔になれることをやりたい。

 

 

市民参加型まちづくり1パーセントシステム に 手をあげてみた。

 

 

実績はゼロ。

お見せできる資料など一つもないまま

ひろさきアフタースクール をやりたい!と 

マイク1本で、審査員の方々に7分間のプレゼン。

 

喋り終わった後

ガチガチに緊張していた私に

 

 

初対面の担当課長は  

 

ん〜〜、アフタースクールは、まだよくわからないけど、

とにかく、あなたの 、弘前市とこどもたちへの 熱い想い だけは 

しっかり伝わりました!こういう市民いるんだ!

 

と、ニッコリほほえんでくれた 瞬間・・・

 

何かが、変わる! と感じました。

 

 

 

「こんな人が役所にいるんだ」

 

市民と共に 汗を流し、市民の声をひろいあげて、

手を差し伸べてくれる 

彼の存在は、どんなにか、心強かったことか。

 

市民目線のアイデアにも熱心に耳を傾け、人を繋げてくれる。

彼の周りの人が また人を繋げてくれる。

 

信頼関係がガッチリ出来ているのですね。

 

 

取り壊しが決まった 市役所の食堂に、

一郎そば って、鏡があるんですけど、

父 一郎と母 ふみが 寄贈したものなんです。

 

壊すなら、私が 引き取らせていただきたい

と、言ってみたら

次の日、すぐに電話がきて、

了諾してもらったから、取りにきていいと。

 

さすが、凄い人なんだ と ただただびっくり。

コレは、あまり、言ってはいけないのかもしれないけど。

 

結局、ヒロロで ダンスの練習している子供たちのために、

大きな鏡を、設置することになり、

 

その一枚に、「一郎そば 寄贈の鏡」を飾ることになったのも、

彼が勧めてくれたおかげ。

 

一郎そば を 生業に 生活する事が出来たのは 

市役所の庭先で屋台で仕事をさせていただいたから。

そして職員や市民の皆さんが 

一郎そばを 毎日 美味しいと、食べてくれたから。

 

 

いつか、弘前市に、ちいさなことでもいいから

恩返しができるといいね。

と、話していたことを 

伝えたことから 始まった 活動も5年目になりました。

 

今度は、

みんなで 応援をしていきたいと思います。

 

 

(記)いぢろっこの娘

 

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いぢろっこの娘さま、ありがとうございました!

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